亮蔵さんの死
10月
24日
2011
我が家(実家)の重鎮、
柴犬の亮蔵さんが昨日遅くに、
静かにあの世に旅立ちました。
昨年2月にオフクロが急死してから、
抜け殻のようになったオヤジの、
残された仕事が彼・亮蔵さんの天寿を全うさせる事でした。
あれから1年と8カ月ちょっと。
どんどん痴呆が進み、
徘徊、脱糞、脱尿、夜中じゅうの遠吠え、等々。
同居を始めてくれたアネキ家族と共に、
大袈裟ではなく24時間体制のケアをし続けておりました。
昨晩、実家に立ち寄った際、
2~3度吠えていた彼に、
アネキが精神安定剤のサプリメントを与え、
静かになったので、自分の家に帰った後、
今日に日付が変わる少し前に、
オヤジからの携帯で、
「亮蔵が死んだ。」と。
オフクロの突然の死。
多くの方々から、
「看病がなかった分、心構えがなかったから辛いわよね。」
との同情のお声を掛けて頂きましたが、
亮蔵さんの介護を通じ、
その時の皆様の言葉の意味が理解出来ました。
不謹慎かも知れませんが、
もしオフクロが亮蔵さんの様な、
介護が必要な期間があった後に、
死んでいったとしたら、
自分(自分達家族)の心情って、
どう変わったのかを想像してみましたが、
なんせ母と犬ですから、
気持ちの差が大き過ぎますから、
想像し切れませんでした。
が、
「介護をし、覚悟を決めてしを迎える」場合と、
「急死を受け入れ、日々の生活を立て直す」場合と、
体力・気力の比率は全く異なりますが、
自分の消耗(心も体も)具合はピッタリ同じ様な気がするんです。
そう思った時、
やはり神と云いましょうか、天と云いましょうか、
死への過程ですら帳尻を合わせてくれているのだ、と。
ダラダラと長文になってしまいましたが、
この文章の本題に入ります。
普通の順番ですと、
次はオヤジって事になります。
どういう過程を経て、
オフクロと、亮蔵さんの方へ行くのか分かりませんが、
「親の死」という衝撃と消耗(心・体)には変わりがない事。
その事に気付けただけでも、
ボク自身の「覚悟」というものを、
亮蔵さんが身をもって教えてくれた気がしたんです。
逆縁(ぎゃくえん・親より先に死ぬ事)にならぬ様、
また、2人の子供達にボクの死を大いに悲しんで貰える様、
これからも心も体も養生しつつ、精進して参ります。
店主 金成真良